第28回織田信長サミット雑感

いざ名古屋・桶狭間へ・・・令和元己亥年六月八日(土)~九日(日)

 

今年の信長公奉賛会総会は、隔年のサミットの年と重なったので、車中開催となった。

奉賛会会員130名中、26名の方が参加。平成30年度の事業、決算報告。令和元年度の事業、収支予算計画などが承認され、サミット開催地の名古屋市に到着。

名古屋城内の櫓や天守閣、本丸御殿を見学。特に、将軍の宿館として使われた本丸御殿は、10年前から復元工事を開始し、平成25年に玄関・表書院、平成28年に対面所、下御膳所を公開、平成30年6月には、最も格式が高い「入洛殿」や「湯殿書院」の復元工事も完了し全体公開をしています。

 

名古屋市公館でのサミットでは、超一流の勝負文字伝道師で書道家の安田舞さんの書道パフォーマンスや名古屋が誇る「おもてなし武将隊」の織田信長がサミットの開会を宣言する口上を披露。その後加盟11市町の首長さん達による我が町紹介が、名古屋市の河村たかし市長を皮切りに始まり、我が富士宮市の須藤秀忠市長が「織田家とのつながり」として京都・本能寺の変で非業の最期を遂げた信長公の首塚伝説などについて、会場の皆さんに披露しました。

その後の基調講演では、「大うつけの大逆転」・・・桶狭間の戦い、その勝因に迫る・・・

と題して様々なテレビ番組で活躍中の、歴史研究家・河合敦先生のお話と、トークショーとして「桶狭間合戦の真実」と題し、名古屋市出身の漫画家・江川達也氏が、桶狭間の地形や織田信長の人間的な魅力を中心に、河村名古屋市長とも熱っぽく語られました。

このサミットは加盟市町の持ち回りで、2年に一度開催されており、次回開催は令和3年度で開催地は越前の国・越前町の予定です。我が信長公奉賛会では、平成25年度に群馬県甘楽町で開催されたサミットに初参加し、27年度には愛知県清須市でのサミットに参加。2年前の第27回サミットは、富士宮市で盛大に開催されました。

 

うつけ者といわれた信長、まさかの大逆転。この戦いを機に、信長・天下人への階段。

 

第28回織田信長サミットが開催された名古屋市公館レセプションホール

 

名古屋2日目は、名古屋笠寺ホテルを午前8時に出発し、約20分で熱田神宮に到着。

桶狭間合戦当日も、信長公は清洲城を未明に出立し、熱田神宮で戦勝祈願をしました。

 

信長公記・永禄三年の桶狭間の合戦では、五月十九日未明、この時、信長は「敦盛」の舞を舞った。「人間五十年、下天の内にくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか」と歌い舞って、「法螺貝を吹け、武具をよこせ」と言い、鎧をつけ、立ったまま食事をとり、兜をかぶって出陣した。

この時従ったのは、お小姓衆の岩室長門守・長谷川橋介・佐脇良之・山口飛騨守・加藤弥三郎。これら主従六騎、熱田まで三里を一気に駆けた。辰の刻に上知我麻神社の前から東を見ると、鷲津・丸根の両砦は陥落したらしく、煙が上がっていた。この時点で信長勢は、騎馬六騎と雑兵二百人ほどであった。海岸沿いに行けば距離は近いが、潮差し満ちて馬の足に不便なので、熱田から上手の道を飛ばしに飛ばして駆けとおし、まず丹下の砦に行き、次に善照寺の佐久間信盛が居陣する砦へ行き、将兵を集結させ、陣容を整えて、戦況を見きわめた。

 

【熱田神宮内の信長塀】

日本三大土塀のひとつで、織田信長が桶狭間の合戦で勝利したお礼に奉納した土塀

 

熱田神宮を後にして、名古屋市緑区の有松に到着。ここ有松は、古い町家と白壁が続く、染め物の郷で、今年5月に日本遺産に認定された絞り染めの一大産地です。

町並と有松鳴海絞り会館を見学し町中に佇む築80年以上の旧商家・神半邸内の居室を利用した「日本料理・やまと」で昼食を・・・

有松の趣きある古い町並み

 

有松・鳴海絞り会館で、絞りの歴史を・・・

 

 

有松から目と鼻の先にある桶狭間に到着。古戦場公園から長福寺を経て、桶狭間神明社での「桶狭間の戦い・再現劇」を見学。特設ステージでは、名古屋おもてなし武将隊による迫力ある合戦シーンが印象に残りました。

桶狭間古戦場公園にある「今川義元公戦死の碑」

 

なお、この再現劇特設ステージには我々信長公奉賛会のため最前列に椅子が用意されていま した。これは有松商工会の役員さんを中心とする、桶狭間古戦場保存会の高瀬さん達のご好意によるものでした。ありがとうございました。


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